まめのです。
前回は、ライフマスタリーアカデミー1ヶ月目の目標設定について書きました。

2ヶ月目は「思考」を鍛える1ヶ月。
今回は、子どもとの関わりを通して考えたことを書いてみます。
2ヶ月目は「思考」を鍛える1ヶ月
考える、ってできていると思っていました。
でも、ライブマスタリーアカデミーでの考え方を知ることで、私は考える面白さの20%くらいしかできていなかったことを知りました。
考えるとひとことで言っても、何をしているかは案外自分では認識できていないもの。
考える過程の中で、自分は今考える能力のうちどこが足りていないのか。
それを見える化できたことで、建設的に考える時間を取れるようになってきました。
↓講座の詳しい内容はこちら!


今回は、子育てあるある(!?)の「子どもが約束を守らない!」という場面で出てくる、自分のイライラやモヤモヤを解決するために、「思考力を伸ばす6つの力」を回してみました。

回してみてびっくり。
「こうしたらいいのでは?」というこれからの行動の方向性はもちろん、
自分自身がやりたくない行動、つまり自分を嫌いになる行動をしていた理由まで見えてきました。
今までなら、ただ「またイライラしてしまった」「私はだめだ」で終わっていたかもしれません。
でも、講座のワークに沿って考えてみることで、責めるだけではない見方が少しずつ出てきた気がします。
子どもへのイライラで疲弊、そして罪悪感
子どもって、ひとつひとつの行動の切り替えがあまり上手ではない。
うちの場合は、お風呂が特にそうです。
遊んでいたり、テレビやYouTubeを見ていたりすると、もう切り替えができない。
「あと動画一本見たら入ろうね」
「あと10分遊んだら入ろうね」
そう約束したはずなのに、
「やっぱりあともう一本」
「お風呂に入りたい気分じゃない〜」
……ああもう、イライラ。
自分にも時間にも余裕がある時は、「じゃああと一本だけね」とか、根気よく話を聞いたりしながら、子どもの気持ちも受け止めて対応できます。
でも、余裕がない時は爆発。
「さっき約束したじゃん!なんで守らないの!?」
「もうお母さんは今話したくない!」
自分が不機嫌になって、子どもが意見を曲げるように仕向けてしまう。
そんな子どもの様子を見て、少し落ち着いてから自己嫌悪。
なんでこんな対応をしてしまうんだろう。
したくない行動の原点はもしかしたら自分がされてきたことかもしれない
ライフマスタリーアカデミーで学んだ、思考力を鍛える6つの力を使って、この課題に向き合ってみました。
ひとりで考えていたら、たぶん「私が悪い」か「子どもが悪い」のどちらかで終わっていた気がします。
でも、ワークに沿って分解していくことで、少し違う角度から自分を見ることができました。

イライラや自己嫌悪を分解していくと、ある自分が見えてきました。
それが、自分が正しいと思って、力任せに相手を引っ張ろうとする自分です。
なんでこんなことをするのかなと考えてみたら、ひとつの仮説が浮かびました。
私自身が子どもだった2〜30年前、あまりに言うことを聞かないと閉め出されていたし、親も不機嫌になっていました。
「お前が悪い」
そう態度や行動で言われていたような気がしました。
もちろん、私は子どもを閉め出しているわけではありません。
でも、不機嫌になることで「あなたが悪い」と伝えて、相手を動かそうとしているところは、どこか似ているのかもしれない。
私がしたくない行動は、自分がされてきたことだったのかもしれない。
そう思いました。
「こんな自分はいらない」の中にあった、ふたつの否定
こういう関わり方が、時代的に当たり前だったのは理解しています。
でも、私はされたくなかった。
そして今、されたくなかったことを、自分の子どもにしている。
なんで、されたくなかったことを自分の子どもにしてしまうんだろう。
「こんな自分は嫌い」
「こんな自分はいらない」
そう明確に言葉にしていたわけではないけれど、心の中で否定していたように思います。
ここで苦しかったのは、私は今の自分だけでなく、子どもだった頃の自分まで責めていたからなのかもしれません。
整理すると、ここにはふたつの否定があるように感じました。
ひとつは、今の自分への否定です。
されたくなかった関わり方を、自分の子どもにしてしまっている。
そんな自分が嫌だ。
こんな自分はいらない。
もうひとつは、過去の自分への否定です。
子どもに対して「約束を守らないあなたが悪い」と思ってしまうとき、
それは昔の自分に対しても「親を不機嫌にさせたあなたが悪かったんだ」と言っているような気がしました。
でも、大人が不機嫌になることまで、子どもだった私が「私が悪かった」と引き受けなくてもよかったのかもしれない。
そう思えたとき、今の子どもに対しても「あなたが悪い」と決めつけなくていいのかもしれないと思いました。
ここまで考えてみて、少し見方が変わりました。
出てくるのは仕方ない。でも、それを選ばなくていい
「親」としての一番身近なお手本は、自分の親だった。
だから、関わり方も自然とそっちに寄ってしまうのは、ある意味仕方ないのかもしれない。
そう気づきました。
でも、仕方ないからといって、そのまま選び続けたいわけではありません。
だから、いったんこう思うようにしました。
「そう思うのは仕方ないよね」
これは、いい意味での諦めです。
力任せに引っ張ろうとする自分が、心の中に出てくること自体は仕方ない。
でも、その自分を実際のコミュニケーションで選ばなくてもいい。
「お、ひっぱろうとする自分、出てきたね。それは仕方ない!
でも、子どもとのコミュニケーションには必要ないんだ。
だから、ちょっと箱に入っててね。」
そんなふうに捉えられたら、自分を否定しなくても済むのかもしれないと思いました。
自分を否定せず、相手にも押し付けない優しさ
この「いい意味の諦め」の感覚を手に入れたことで、どんな自分もいったん受け入れようと思えるようになりました。
出てきた感情を、なかったことにしなくていい。
拒否しなくてもいい。
押し殺さなくてもいい。
でも、受け入れることと、そのまま相手にぶつけることは違う。
自分の感情を受け入れることは、自分への優しさ。
その感情をそのまま相手にぶつけないことは、相手への優しさ。
1ヶ月目の講座で学んだ、楽しみながら結果を出せる人の共通点のひとつに、
「自己犠牲ではなく、相手も自分も大切にすること」
というものがありました。
これはまさに、今回のような感覚なのかもしれない。
自分を押し殺すのでもなく、相手に押し付けるのでもなく、
いったん受け入れたうえで、「これは選ばない」と決める。
それが、自分も相手も大切にするコミュニケーションにつながるのかもしれないと思いました。
次にイライラしたときは
だから次に同じような場面が来たら、まずは「約束を守らせなきゃ」と力で動かそうとする前に、
「今、私は力任せに引っ張ろうとしているかもしれない」と気づくことから始めたいと思います。
そして、お風呂に入るか入らないかだけで考えるのではなく、
「今日はどうやって清潔にする?」という目的に戻って、子どもと話してみたい。
お風呂に入る?
シャワーだけにする?
体を拭くだけにする?
その日によって選択肢は違っても、「清潔にする」という目的さえ達成できたらOK!にする。
それが、自分も子どもも尊重するコミュニケーションに繋がると信じて。
自分のための言語化が、誰かにつながるかもしれない
コミュニティ内にこの気づきを書いたら、西田コーチから嬉しい言葉をいただきました。
似た悩みでヘトヘトだったので、その時にこうやって言語化してもらいたかったな。と感じました。
この言葉を聞いて、まだぼんやりですが、“私がやりたいこと”のかけらが見えてきた気がしました。
私はこれまで、自分のモヤモヤを整理するために言語化してきました。
でも、自分の中でぐるぐるしていたことを言葉にすることで、もしかしたら同じように悩んでいる誰かの役に立つこともあるのかもしれない。
そう思えたことが、少し嬉しかったです。
子育ての中で出てくるモヤモヤを共有して、一緒に考えていけるような場所やコンテンツがあったらいいなあ。
そんな気持ちが、うっすらと自分の中にあることにも気づきました。
まだ「これがやりたい!」と胸を張って言えるほどはっきりしているわけではありません。
でも、自分の中にあるものを言葉にしていくことが、少しずつどこかにつながっていくのかもしれない。
そんな淡い期待のようなものが生まれました。
まとめ:考えることは自分も周りの人も大切にする道への地図なのかもしれない
2ヶ月目の講座で「思考」を分解して考える方法を学んだことで、自分の中にある感情や反応を、少し距離を置いて見られるようになりました。
そして、自分を責めるためではなく、自分も周りの人も大切にする道を探すためのものでもあるのかもしれないと思いました。
そして何より、自分の中で起きていることを分解して考えてみるのは、思っていた以上に面白いです。
今までただ「なんか苦しい」「なんでこうなるんだろう」と思っていたことにも、少しずつ理由やつながりが見えてくる。
その感じが、今はとても楽しいです!なんでも分解してみたくなるくらい。
来月もまた、自分の中にあるモヤモヤや違和感を手がかりにしながら、
「私は何を大切にしたいんだろう?」
「どうしたら自分にも相手にも優しくいられるんだろう?」
と考えていきたいと思います。
少しずつ自分のことが見えてきている感じがして、次の1ヶ月も楽しみです。
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